大阪城(大阪市)
令和4年5月21日(土)、大阪城を探訪しました。
大阪城と言えば今年90年を迎える復元大天守のイメージが強くて敬遠していました。しかし、『大阪城』(創元社、2022年)を読んで認識を改め、この本に掲載されているモデルコースを歩くことにしたのです。
最初は、豊臣秀頼が再建した玉造稲荷神社です。
大阪城の構造について、かつては本丸・二ノ丸・三ノ丸が同心円状に広がっていたとする三重構造説が定説でしたが、近年ではさらに外側に惣構があったとする四重構造説が有力になっています。
惣構には、玉造稲荷神社や細川忠興屋敷などの武家屋敷がありました。
南外堀に面した石垣は総延長2km・堀の最大幅75mと壮大なスケールです。
かつては七つの二階二層櫓が並んでいましたが、今は一番櫓と六番櫓が残るだけです。
一番櫓には、16の窓のほか狭間(さま)も設けられています。
玉造口から二ノ丸に入り、豊国(ほうこく)神社に参拝します。
一角には高名な作庭家・重森三玲による「秀吉庭(しゅうせきてい)」があります。
次に南西に位置する正門「大手口」を見学します。
大手門を入れば、大手口枡形(出入口に設けられた四角形の防御施設)です。
正面には108㌧「大手見附石」を始め三つの巨石が置かれ、鏡石として城主の権威を誇示していました。
鉄板張りの多聞櫓を潜り、「西の丸庭園」に向かいます。
西の丸庭園には芝生が広がりますが、かつては城代上屋敷があり井戸跡が残っています。
北には、黒色火薬を保管していた石造「焔硝蔵」があります。
石垣と西外堀の規模を体感できる「坤櫓(ひつじさるやぐら)跡」と、内堀越しに大天守を望む庭園東側は、撮影スポットです。
ここで午前中の探訪を終え、午後は南の「桜門」(1887(明治20)年再建)から再開します。
門の東側の石が竜石(たついし)・西側の石が虎石(とらいし)と呼ばれています。
左右の堀には水がありません。上町台地の中で一番高い場所だからとも推定されています。
桜門を入ると正面に城内最大の巨石「蛸石」があります。向かって左端に蛸の頭のような模様があることに由来します。
縦5.5m・横11.7mですが、高度な加工技術で厚さ0.75mにまで削られています。
大天守の手前奥には、平屋の金蔵があります。
「大阪城天守閣」には入らずに、北に進みます。
山里口出桝形の西には、敵兵を横から襲うために兵が隠れていた南北に細長い「隠し曲輪」があります。
山里丸には秀吉が茶室を作っていましたが、今は石碑「豊臣秀頼・淀君ら自刃の地」が建っています。
極楽橋を渡って二ノ丸に出ます。
竹生島宝厳寺(滋賀県長浜市)の国宝「唐門」は、かつて極楽橋にかかっていました。
二ノ丸最北端の「伏見櫓跡」に行きます。唯一の三重櫓が建っていた場所で、北外堀の景観が楽しめます。
北西の京橋口から二ノ丸を出ます。京橋口桝形には大きな肥後石が残ります。
時間の関係で大阪城天守閣や搦手口(裏口)の「青屋門」には寄れませんでしたが、大阪城の壮大さを体感しました。