鶴林寺(兵庫県加古川市)
令和3年5月9日(日)午前、刀田山鶴林寺(とたさんかくりんじ、加古川市)に参拝しました。
山電「尾上の松」駅で下車して、40年近く前に廃線になった国鉄高砂線線路跡の道路を歩きます。
『鶴林寺聖霊院縁起』(江戸時代)には、惠辨僧正の勧めで聖徳太子が建立した四天王寺聖霊院が前身と書かれています。
しかし、(1)建物は平安時代以降の建立、(2)仏像から明らかなのは平安時代前期からの存在、(3)鎌倉時代の鶴林寺文書に聖徳太子との関係が書かれていない、(4)室町時代の『峰相記(みねあいき)』に記載がないこと等から、(a)創建は平安時代中期以降で、(b)天王寺領賀古荘(かこのしょう)にある関係から後世に四天王寺系の太子信仰と結びついたと推測されています。
現在は天台宗に属しており、国宝「本堂」には本尊の秘仏「薬師三尊」が安置されています。
今回の目的は、秘仏「韋駄天」(室町時代)を拝見することです。本来は60年に1回しか開帳されないのですが、加古川市内のオリンピック聖火リレー終着点となったことから特別公開されています。ただし、聖火リレーが中止されれば公開も中止するとのことなので慌てて行ったのです((追記)聖火リレーの中止に伴い公開も中止されたので、5月9日が最後となりました。)。
韋駄天は四天王「増長天」の八将の一尊で、釈尊の遺骨の歯を奪って逃げた悪魔を追いかけて取り戻した俊足で有名です。しかし、この像は実は韋駄天ではなく四天王「持国天」です。韋駄天とされたのは、『播州名所巡覧図会』(江戸時代)でそう紹介されているからなのですが、理由は明確ではありません。持国天より韋駄天の方が有名だったからだ”とする説もあります。
台が用意されており、その上にあがると足元の邪鬼が見えます。踏みつけられながら上を向いて笑っている顔が何ともユーモラスです。ただ、この仏像は内陣の南西に安置されているのですが、そこは増長天の定位置です。ボランティア・ガイドの方に尋ねると“仏像の配置に関して鶴林寺はおおらか”と言っておられました。確かに、宝物館にある釈迦三尊の脇侍も配置が逆でした。
国宝「太子堂」には重文「板絵著色聖徳太子像」が安置されていますが、これも秘仏です。
宝物館の重文「銅造聖観音立像」(白鳳時代)には、盗人がこの観音像を盗み溶かして一儲けを企んだが「あいたた」と言う観音の声に驚き像を返し改心したと言う伝説があり、「あいたた観音」とも呼ばれています。
像高83cmと小さいことから他の寺から移された可能性が高いと考えられています。奈良のお寺で拝見する白鳳仏に比べると、いささか繊細さに欠けます。
本堂の前には、菩提樹と沙羅双樹が植えられており、6月には開花を迎えます。
その時期に、再度、訪問したい古刹です。