城南宮・鳥羽離宮跡(京都市伏見区)

 令和5年3月9日(木)、京都市伏見区にある城南宮・鳥羽離宮跡などを散策しました。


 城南宮は、平安遷都の際に国の守護神として創建されたと伝えられています。祭神は、国常立尊(くにのとこたちのみこと)・八千矛神(やちほこのかみ、大国主命)・神功皇后の三柱です。


 明治初期には「真幡寸(ほはたき)神社」に名前を変えましたが、1965(昭和40年)頃に「城南宮」に戻りました。その際、真幡寸神社は境内摂社として残りました。


 神苑「春の山」は昭和を代表する作庭家・中根金作の手によるものです。枝垂れ梅が満開と聞き、午前9時の開苑直後に行ったのですが、たくさんの人で賑わっていました。


 陽光に照らされた梅落ち椿と梅などさまざまな梅を楽しむことができました。

 


 その後、鳥羽離宮跡を探訪しました。鳥羽離宮とは、平安時代末期、白河上皇と鳥羽上皇が作った、わが国最大の離宮です。離宮と平安京は、朱雀大路から南に続く鳥羽作道(つくりみち)によって結ばれていました。


 鳥羽離宮造営に伴い城南宮は鎮守社となり、上皇が熊野参詣などを行う際に行う「方除(ほうよ)け」の精進社に当てられました。城南宮が方除けで知られているのは、こうした歴史的経緯があるからです。


 鳥羽離宮の南殿跡鳥羽離宮公園として保存されています。


 公園の北端には小山がありますが、庭園の築山で「秋の山」と呼ばれていました。城南宮「神苑」の「春の山」は、この「秋の山」に対応したものです。


 離宮内には、第73代・白河天皇陵、第74代・鳥羽天皇陵、第76代・近衛天皇陵と三つの天皇陵があります。鳥羽天皇陵には法華堂が、近衛天皇陵には多宝塔が建てられています。

 

 

 この二つに比べると、白河天皇陵極端に小さく違和感を覚えました。


 家に帰ってから『鳥羽離宮跡』(新泉社、2018年)を読んだところ、説明されていました。

 白川天皇は離宮内に三つの塔を建立しましたが、遺勅により泉殿御所跡の三重塔が御陵になりました。この時、鳥羽天皇は塔の周りに濠をめぐらせました。濠に囲まれた範囲で見ると他の二つの陵と同じ面積だそうです。


 枝垂れ梅を見るために出かけたのですが、周辺を散策することにより鳥羽離宮の広大さを体感することができました。

2023年03月09日|建造物:寺院, 神社|歴史:中世