一乗谷城・一乗谷朝倉氏遺跡(福井県福井市)
令和4年9月13日(火)、国の特別史跡「一乗谷城」「一乗谷朝倉氏遺跡」を訪れました。
JR西日本「サイコロきっぷ」を買ったところ行先が福井になったからです。
JR「一乗谷駅」から南に30分程度歩くと、東・南・西が山に囲まれた一乗谷です。
ここに残るのが、五代100年にわたって越前一国を治めた戦国大名・朝倉氏の城下町です。
谷が最も狭い地点には長さ38m・高さ4mの城門「下城戸(しもきど)」が築かれました。
さらに南に進むと、紺屋・数珠屋・医師などの町屋が並んでいた「平面復原地区」です。
一乗谷で最大の支谷「八地谷(やちだに)」は「八地千軒」と言われ、谷の奥まで屋敷が立て込んでいました。
さらに南に進めば「復原町並」で、武家屋敷や町屋が並んでいた様子が再現されています。
南北に走る道路に面して武家屋敷群が並びますが、西の上級武家屋敷群は4本柱の薬王門で井戸が4つ、東の中級武家屋敷群は2本柱の棟門で井戸は二つと格式が違います。
東に移動して、朝倉義景の妻「小少将」の館だった「諏訪館跡庭園」に行きます。
一乗谷城へは、朝倉家初代・孝景の墓「英林塚」を通る「英林塚ルート」で登ります。
大きな岩が転がっていて、歩きにくい部分もあります。
一乗谷城は、朝倉氏が戦国大名へと成長を遂げるに従って順次整備・格調されたと考えられており、一乗城山(475m)を中心に東西440m・南北620mの範囲に展開しています。
最初に到達する曲輪群は谷部の削平地を主体としていて、恒常的に利用される建物があったと考えられています。ここには、城内最大の「千畳敷」や「観音屋敷」があります。
宿直(とのい)からは、三国湊や福井平野まで見渡せます。
千畳敷から南に進めば、一の丸・二の丸・三の丸です。それぞれの曲輪は独立性が高く堀切(尾根を切断した横堀)で分断されています。
一乗谷城最大の特徴は、畝状空堀(うねじょうからぼり、竪堀を連続して並べたもの)群の多さにあります。3月に来た時は雪が積もっていて確認できたのですが、今の時期は草が生い茂っていてよく分かりません。
一の丸は、楕円形で広さ1,100㎡で、周囲には空堀がめぐっています。
二の丸は、楕円形で広さ570㎡で、幅16.5mの大きな堀切があります。
三の丸は、南北110mと細長くのびる曲輪で、北曲輪と堀切によって区画された広さ430㎡の中央曲輪は一乗城山の山頂に築かれています。
千畳敷まで戻り、「馬出(うまだし)ルート」で下山します。
このルートは、大手道だった可能性も指摘されており、そう思ってみれば痕跡らしきものもあります。
途中には、馬出地区を北西に望む「小見放城(こみはなちじょう)」がありました。
暑いなか、一乗谷朝倉氏遺跡を見学した後、一乗谷城に登るというハードな行程でしたが、麓の居館と山城との関係を体感できたような気がしました。