奈良市観光協会モニターツアー「ならまち古地図ウォーキング」(奈良市)
令和4年2月4日(金)、奈良市観光協会モニターツアー「ならまち古地図ウォーキング」に参加しました。
「ならまち」は大部分が元興寺(がんごうじ)の旧境内です。
元興寺は、平常遷都に伴い、718(養老2)年、飛鳥の法興寺(飛鳥寺)が新築移転してできた寺院です。戦乱等により荒れ、寺院としては極楽坊境内・五重塔跡・小塔院跡が残るだけです。
しかし、他にも金堂跡の礎石などが残されており、古地図(奈良時代と江戸時代の古地図を両面に印刷した地図に、現代の町並みを印刷したトレーシング・ペーパーを重ねたもの)を片手に、奈良まほろばソムリエの方の案内で遺跡をたどります。
極楽坊境内に残る国宝の極楽堂・禅室は、僧坊を二つの建物に改造したもので、屋根の一部には法興寺から運ばれた飛鳥時代の丸瓦(茶褐色)が葺かれています。
次に、金堂跡を訪ねます。菊岡薬局や奈良町物語館の北西を走る道が不自然に曲がっているのは金堂があった痕跡です。
奈良町物語館では、金堂の礎石を二つ見ることができます。屋内にある一つは、礎石の上に現代の建物の基礎を築いています。
元興寺塔跡には五重塔の基壇と出枘(でほぞ)が付いた礎石が残ります。
北側にあるお堂の東西にも礎石の列があり、観音堂があった可能性もあります。
塔跡から西に進めば小塔院跡です。ここに塔があれば東西が揃ってバランスが良いのですが、当初から小塔院が設けられていたようです。残念ながら、見るべきものは残されていません。
塔跡と小塔院跡の間には、井上内親王・他戸親王(光仁天皇の皇后・皇子)などを祀る御霊(ごりょう)神社があり、かつては元興寺の鎮守社だったと考えられています。
西室だった西光院は、今は華厳宗に属しており、姫路市出身で東大寺の長老を務めた清水公照氏の大きな額が掲げられていました。
最後に、元興寺の奥之院だった興善寺に参拝して、住職から説明を受けます。浄土宗にも関わらず鼉太鼓(だだいこ)が置いてあったので法話後に訪ねると、南都楽所(なんとがくそ、寺社で雅楽を披露)に属しておられるとのことでした。
また、文殊菩薩と女学生を彫った未完成の大きな浮き彫りがあり、ここに置かれるようになった裏話を伺いました。
紙だけでなくスマートフォン用ソフトもあり、GPS機能と連動させれば現在地が確認できるので便利です。
ただ、奈良時代と江戸時代の切り替えが面倒なので奈良市観光協会の担当者の方に尋ねたところ、奈良時代・江戸時代・現在と三つの時代を重ねる需要は少ないのでソフト開発会社が渋っているそうです。
姫路市でも同じソフトを使っているそうですが、確かに江戸時代と現在の二つで十分です。
ひさしぶりに、ならまち界隈を歩き、奈良の奥深さを再認識した一日でした。