近畿文化会「奈良町における浄土宗寺院の成立」(奈良市)
令和4年2月11日(金・祝)、近畿文化会「奈良町における浄土宗寺院の成立」に参加しました。講師は、元興寺文化財研究所研究員の服部光真さんです。
JR京終駅から南に向かい、福寺(ふくでら)跡(南京終町)に行きます。福寺は室町時代には成立しましたが、江戸時代に廃絶しました。
跡地の福寺池は1970(昭和45)年に埋め立てられて住宅地になりましたが、池の底から出土した石仏や石塔は、池跡の南東に集めて祀られています。
京終(きょうばて)地蔵院(南京終町)は、正式な寺院でなく草堂だったと考えられており、頭光に蓮弁を刻む珍しい形式の阿弥陀三尊形式の石仏が祀られています。
五条大路沿いに鎮座する飛鳥神社(北京終町)は天神信仰にも関係しており、境内には「紅梅殿神社」と彫った石燈籠もあります。
中世の豪商・蜂屋紹佐邸跡(納院町)を経て、興善寺(十輪院町)に向かいます。
興善寺の前身は十輪院境内にあった阿弥陀石仏を守る念仏聖の草庵で、当時の本尊だった阿弥陀石仏(脇侍は地蔵菩薩・観音菩薩、室町時代)は納骨堂に安置されています。
本尊の阿弥陀如来立像(鎌倉時代前期)は、大和高原の寺にあったものと考えられています。
昼食後は、奈良町の浄土宗寺院の中で最も古い可能性のある法界寺跡(脇戸町)を経て、阿弥陀寺(南風呂町)に向かいます。
阿弥陀寺は江戸時代前期の浄土宗寺院成立期の建造物がまとまって現存しているのが特徴です。
また、境内には近くにあった悲田院が移されており、本尊だった珍しい三躯一仏観世音(観音菩薩の左右に阿弥陀仏・薬師仏)を拝見しました。
次に三条通・やすらぎの道を北西に越えて、霊巖(れいがん)院(漢国(かんごうちょう)町)に向かいます。
知恩院門主になった霊巖上人が戦国時代に開いた寺で、本堂には庚申講の本尊「青面(しょうめん)金剛立像」が安置されています。
最後は、霊巖院に隣接した念仏寺(漢国町)はしています。
1622(元和8)年、琉球で布教した袋中(たいちゅう)上人が開き、元興寺の本尊とは異なる異本智光曼荼羅を開版して摺物を念仏講などでを配付しました。
1週間前の2月4日(金)に奈良市観光協会「ならまち古地図ウォーキング」で元興寺旧境内を歩いたばかりですが、今回は奈良町の浄土宗寺院を歩き、奈良の奥深い仏教文化を感じることができました。